こんにちは。 今朝はELA(English for Liberal Arts)の授業後ケータイを教室に忘れてしまいました。
幸運にも私は次の授業は空きコマでしたので、元いた教室に取りに行きました。
次の授業が行われているその教室に勇気を出して入っていったら、私のARW(ELAプログラムの一部)を担当してくれている先生がたまたまその教室で授業をしていたので、
私「Did you see any phone left from last class?」
先生「Oh. I gave your phone to Aさん(クラスメイト) And I there is another phone left.」
私「That's Bさん’s(クラスメイト)」
先生「Can you take it to her?」
私「OK!」
<私:教室を出る。>
という流れで自分のケータイはAさんが持っていることが分かったのと、Bさんのケータイを届けなければならないということになりました。
あれ?こころよく引き受けちゃったけど...
ケータイを持っていない私が、人のケータイ預かってどうすんだよ。。。
それに、Aさんって情報だけでどうやってケータイ回収するんだよ。。。笑
まぁ頑張ってみることに。
Aさんを探せ!
普段ならラインを飛ばして、今どこにいるか確認したり、対象の人がケータイを持っていなくても、クラスラインで聞くなど、情報収集から始めます。
ですが今日はケータイがありません。
久しぶりに人探しを目視でしました。学食、新D館、本館、理学館、図書館でひたすら人を見ながら歩く。
こういう状況になると日常の生活がどれほど、あのたった数百グラムのちっさいデバイスに依存しているかに驚きます。
ないのがとても新鮮でした。
それに、ケータイが普及してから「偶然」や「運命」というちょっと嬉しいような驚きのようなあの感覚がなくなっていることに気がつきました。
昔であれば、帰りの電車賃がないとか...ちょっと困ったことがあった時、「偶然」友人が通りかかって貸してくれた。
というふうに、偶然を体験する瞬間はよくあったと思います。
現在なら、友達に「今どこー?」とラインを送って貸してもらえます。
また、現在はイベントなどに参加して、今度あの人とご飯でも行きたいと思えばすぐにFacebookなどで連絡が取れます。
昔なら、そう簡単に会えなかったはずです。一期一会、そして会えたら「運命」を感じられたんではないでしょうか。
私はインターネットの21世紀に生きているので分かりませんが...
結局ケータイは、クラスメイトに「偶然」で会うことができて、Aさんにラインしてもらうことで連絡が取れました。
たまには、ケータイを持ち歩かないで、「偶然」でしか出会えないレアキャラになってみるのもいいかな?笑
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